居酒屋部では、毎月メニューを更新していますが、今月は新しい食材が入るたびに、売り切れ御免でお出ししております。連休明けからはじめていたのですが、ご紹介が遅くなり、もうしわけありません。
さて、ただいまの季節メニューは
・白エビの唐揚げ
・鱧の天麩羅
がご好評いただいております。
大阪の初夏の味覚です。こちらも、入荷状況により、売り切れ御免とさせていただいてます。
2008年05月21日
居酒屋 今日のメニュー 5月21日
posted by くいだおれ太郎 at 15:56| Comment(0)
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2008年05月19日
「新米祭り」と「豆腐すくい」
「秘蔵の写真展」からもう少し。
「胃の寒稽古」が、地元・大阪のスポーツ紙に「かき氷は夏のもの、という世間の常識に挑戦するイベント」として取り上げられてから、「くいだおれ」店頭のイベントはしばらく道頓堀の「名物」になりました。
その第二弾は「新米祭り」。
これは、「くいだおれ」開店間もない昭和24年に先代・山田六郎がやった店頭イベントをふまえたものです。
このときのイベントは「土用の丑の日」の催しでした。
店頭に米俵を積み上げて、「これをかついで道頓堀を往復できた人にうな重をサービスします」というものでした。「ふだんから身体をつかって働いてはる人なら米俵が運べるはずや。そういう人にサービスをするのや。」ということだったそうです。
昭和47年秋のこの「新米祭り」はまったくのお遊びでしたが、この「米俵をかついで」というところを借りてきました。「米俵をかついで歩けた人に食事券をプレゼント」というものでした。
全国から新米を集めてきたのですが、もう米俵というものがなくなっていて、わざわざ作ってもらったものを山形県から取り寄せたということです。残念ながら米俵を運ぶところは写真に残っておりません。
このとき店頭に大きくかかげたのがもうひとつ。
「米を食おう」という大きな垂れ幕を流し、高さ30センチのオニギリを作って、時の首相・田中角栄と、時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンの似顔絵を作った。
ちょうど、田中首相がニクソン大統領とハワイで首脳会談をもった直後で、「米を食おう」の「米」を「米国」をひっかけたシャレでした。
これも新聞がおもしろがって記事にしてくれたので、さらに同じ田中内閣時代に世相を風刺したイベント「豆腐すくい」を。
昭和47年の夏から秋にかけて、エル・ニーニョ現象でペルー沖のカタクチイワシが極端な不漁になりました。そのあおりで、カタクチイワシを主な肥料としていたアメリカの大豆が不作になって高騰し、当時の田中首相が中国などから大豆を緊急輸入することを指示して暴騰を抑えようとしたものの効果がなく、豆腐や醤油の値段が数ヶ月で4倍に値上がりしたのを風刺したイベントでした。
店頭に、当時「主婦」の象徴とされたしゃもじの巨大なものを2本たてて、一方にはまたまた田中角栄首相の似顔絵を描き、もう一方には都々逸を。
「くずれた豆腐も切りようで四角 ものは言いようで角がたつ」。
「角」に「角栄」をひっかけた洒落でした。
「胃の寒稽古」が、地元・大阪のスポーツ紙に「かき氷は夏のもの、という世間の常識に挑戦するイベント」として取り上げられてから、「くいだおれ」店頭のイベントはしばらく道頓堀の「名物」になりました。
その第二弾は「新米祭り」。
これは、「くいだおれ」開店間もない昭和24年に先代・山田六郎がやった店頭イベントをふまえたものです。
このときのイベントは「土用の丑の日」の催しでした。
店頭に米俵を積み上げて、「これをかついで道頓堀を往復できた人にうな重をサービスします」というものでした。「ふだんから身体をつかって働いてはる人なら米俵が運べるはずや。そういう人にサービスをするのや。」ということだったそうです。
昭和47年秋のこの「新米祭り」はまったくのお遊びでしたが、この「米俵をかついで」というところを借りてきました。「米俵をかついで歩けた人に食事券をプレゼント」というものでした。
全国から新米を集めてきたのですが、もう米俵というものがなくなっていて、わざわざ作ってもらったものを山形県から取り寄せたということです。残念ながら米俵を運ぶところは写真に残っておりません。
このとき店頭に大きくかかげたのがもうひとつ。
「米を食おう」という大きな垂れ幕を流し、高さ30センチのオニギリを作って、時の首相・田中角栄と、時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンの似顔絵を作った。
ちょうど、田中首相がニクソン大統領とハワイで首脳会談をもった直後で、「米を食おう」の「米」を「米国」をひっかけたシャレでした。
これも新聞がおもしろがって記事にしてくれたので、さらに同じ田中内閣時代に世相を風刺したイベント「豆腐すくい」を。
昭和47年の夏から秋にかけて、エル・ニーニョ現象でペルー沖のカタクチイワシが極端な不漁になりました。そのあおりで、カタクチイワシを主な肥料としていたアメリカの大豆が不作になって高騰し、当時の田中首相が中国などから大豆を緊急輸入することを指示して暴騰を抑えようとしたものの効果がなく、豆腐や醤油の値段が数ヶ月で4倍に値上がりしたのを風刺したイベントでした。
店頭に、当時「主婦」の象徴とされたしゃもじの巨大なものを2本たてて、一方にはまたまた田中角栄首相の似顔絵を描き、もう一方には都々逸を。
「くずれた豆腐も切りようで四角 ものは言いようで角がたつ」。
「角」に「角栄」をひっかけた洒落でした。
posted by くいだおれ太郎 at 23:59| Comment(2)
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2008年05月18日
「胃の寒稽古」
店内、全館を使ってやっている「秘蔵の写真展」からもご紹介しましょう。
まずは「胃の寒稽古」。
「くいだおれ太郎」、当時はまだ名前がない「くいだおれ人形」でしたが、もともとはそう積極的に「売り出し」ていたわけではなかったのでした。まだ写真やビデオが今ほど普及していたわけでもないからでしょうか、あまり「太郎」の映像は意識されてなかったようです。
その方向が変わってきたのが、このあたりから。
ちょうど大阪万博が終わったころです。店頭で派手にイベントをやって、それを写す映像に「太郎」が必ず入るようにした。このころから「太郎」を「くいだおれ」のシンボルイメージとしてPRするようになってきたのだそうです。
その第一回が、昭和46年の「胃の寒稽古」。
1月の大寒の日、ですから万博が終わった冬ですね。
冬のさなか、一番寒い日に「胃の寒稽古」、「食べて暖くなるかき氷」と称して、店頭でかき氷を売った。
一杯50円。今の物価だと2、300円ってところでしょうか。
なぜ「食べて暖くなる」かといえば、シロップにお酒が入っている。
「炎のアイス」「情熱の氷」なんて、いかにも1970年代の歌謡曲のタイトルみたいで時代を感じさせますが。「マダムハラショ」はウオトカと使っているから。今ほどアメリカ文化一辺倒の時代ではなかった香りです。
真冬のさなかに、みな水泳パンツ一丁で。はじめの写真、一番右側でマイクを握っているのが、山田昌平・現社長の若かりし頃。このころは「太郎」のメガネも今より大きかったみたいです。
真冬ですから、ふつうの人はこういう格好してます。
一方、店の者はこんな格好で。
ほんとに、ばかばかしいことをやっていたという感じですが、でも、昭和40年代、あるいは1970年代って、こういうばかばかしいことを楽しんでやっていた、エネルギーに満ちた時代であったような感じもします。そして、道頓堀もいちばん華やかな時代でした。
こんなイベントに、ビキニのモデルさんをわざわざ3人も使っていたのですね。
水着のデザインも、いかにも70年代です。
まずは「胃の寒稽古」。
「くいだおれ太郎」、当時はまだ名前がない「くいだおれ人形」でしたが、もともとはそう積極的に「売り出し」ていたわけではなかったのでした。まだ写真やビデオが今ほど普及していたわけでもないからでしょうか、あまり「太郎」の映像は意識されてなかったようです。
その方向が変わってきたのが、このあたりから。
ちょうど大阪万博が終わったころです。店頭で派手にイベントをやって、それを写す映像に「太郎」が必ず入るようにした。このころから「太郎」を「くいだおれ」のシンボルイメージとしてPRするようになってきたのだそうです。
その第一回が、昭和46年の「胃の寒稽古」。
1月の大寒の日、ですから万博が終わった冬ですね。
冬のさなか、一番寒い日に「胃の寒稽古」、「食べて暖くなるかき氷」と称して、店頭でかき氷を売った。
一杯50円。今の物価だと2、300円ってところでしょうか。
なぜ「食べて暖くなる」かといえば、シロップにお酒が入っている。
「炎のアイス」「情熱の氷」なんて、いかにも1970年代の歌謡曲のタイトルみたいで時代を感じさせますが。「マダムハラショ」はウオトカと使っているから。今ほどアメリカ文化一辺倒の時代ではなかった香りです。
真冬のさなかに、みな水泳パンツ一丁で。はじめの写真、一番右側でマイクを握っているのが、山田昌平・現社長の若かりし頃。このころは「太郎」のメガネも今より大きかったみたいです。
真冬ですから、ふつうの人はこういう格好してます。
一方、店の者はこんな格好で。
ほんとに、ばかばかしいことをやっていたという感じですが、でも、昭和40年代、あるいは1970年代って、こういうばかばかしいことを楽しんでやっていた、エネルギーに満ちた時代であったような感じもします。そして、道頓堀もいちばん華やかな時代でした。
こんなイベントに、ビキニのモデルさんをわざわざ3人も使っていたのですね。
水着のデザインも、いかにも70年代です。
posted by くいだおれ太郎 at 22:01| Comment(1)
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2008年05月17日
割烹部厨房 午前7時
「大阪名物くいだおれ」の厨房のなかで、一番朝早いのが割烹部です。
洋食部、和定食部、居酒屋部、だいたい午前9時ごろから仕込みを始めるのですが、割烹部は早い日は午前6時すぎから早番が仕込みに入ります。
(居酒屋部はお昼の営業がないことを考えれば午前9時開始でもべらぼうに早いといってよいのですが)
さて、始業一番にすることは、出汁を引くこと。
このお鍋は2斗半のお鍋。容量約50リットル。
業務用のローレンジは家庭用の大バーナーの4倍ほどの火力があるのですが、それでも2斗半の水をわかすには、1時間ほどはかかります。
家庭でカツオ昆布出汁をとるときは、昆布を一晩鍋につけておくのがよいのですが、こういう業務用の大鍋でわかすときは、30分、1時間かけてじわじわ火を入れることになって、それで良い出汁が出るのだそうです。
この2斗半の鍋には、長さ1メートルほどの昆布が2本入ってます。
そして、沸いてきたら鰹節を入れる。
業務用の削り節パックは1袋500g。これを二つ半ほど入れます。
だいたい、1斗あたり昆布1メートル、鰹節500g。
ご家庭でも同じ割合でやれば美味しい出汁ができます。
でも、一度試してみてください。
この割合で計算すれば、半升(900ml)の水に対して昆布が5センチ×10センチほど。これは良い。でも、削り節は25g。
これ、かなり多い感じです。鍋で煮立っている水と同じぐらいの嵩(かさ)になります。
これだけの鰹節を使うって、けっこう勇気がいるのではないかと思います。でも、これだけしっかり出汁を取ったら、まちがいなくお料理は美味しくなります。
「どこそこの昆布、とか、どういう鰹節、とこだわる前に、ちゃんと量を使うことが基本ですよ。それだけでぐっと料理がおいしくなります」とは竹間調理長。
出汁の鍋を火にかけている間に、予約の数のチェック、調理器具の準備、料理の仕込み。
鰆のおから寿司も、こうやってコツコツと積み上げます。
ちなみに、この時間帯、1階洋食部はまだまだ眠ってます。
洋食部、和定食部、居酒屋部、だいたい午前9時ごろから仕込みを始めるのですが、割烹部は早い日は午前6時すぎから早番が仕込みに入ります。
(居酒屋部はお昼の営業がないことを考えれば午前9時開始でもべらぼうに早いといってよいのですが)
さて、始業一番にすることは、出汁を引くこと。
このお鍋は2斗半のお鍋。容量約50リットル。
業務用のローレンジは家庭用の大バーナーの4倍ほどの火力があるのですが、それでも2斗半の水をわかすには、1時間ほどはかかります。
家庭でカツオ昆布出汁をとるときは、昆布を一晩鍋につけておくのがよいのですが、こういう業務用の大鍋でわかすときは、30分、1時間かけてじわじわ火を入れることになって、それで良い出汁が出るのだそうです。
この2斗半の鍋には、長さ1メートルほどの昆布が2本入ってます。
そして、沸いてきたら鰹節を入れる。
業務用の削り節パックは1袋500g。これを二つ半ほど入れます。
だいたい、1斗あたり昆布1メートル、鰹節500g。
ご家庭でも同じ割合でやれば美味しい出汁ができます。
でも、一度試してみてください。
この割合で計算すれば、半升(900ml)の水に対して昆布が5センチ×10センチほど。これは良い。でも、削り節は25g。
これ、かなり多い感じです。鍋で煮立っている水と同じぐらいの嵩(かさ)になります。
これだけの鰹節を使うって、けっこう勇気がいるのではないかと思います。でも、これだけしっかり出汁を取ったら、まちがいなくお料理は美味しくなります。
「どこそこの昆布、とか、どういう鰹節、とこだわる前に、ちゃんと量を使うことが基本ですよ。それだけでぐっと料理がおいしくなります」とは竹間調理長。
出汁の鍋を火にかけている間に、予約の数のチェック、調理器具の準備、料理の仕込み。
鰆のおから寿司も、こうやってコツコツと積み上げます。
ちなみに、この時間帯、1階洋食部はまだまだ眠ってます。
posted by くいだおれ太郎 at 23:10| Comment(1)
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2008年05月16日
「太郎」切手
西成梅南通(にしなりばいなんどおり)郵便局さんから、「太郎」の記念切手を作りたいというお話をいただきました。
もちろん、「くいだおれ」としては大変ありがたいお話で、素材の写真を提供してデザインしていただきました。現在店内で展示してある「秘蔵写真」から選んだものが中心です。
50円切手と80円切手、それぞれ10枚ずつ、計20枚分の写真を選ぶ作業も大変でしたが、レイアウトもなかなか大変だったと思います。
最初にお話があったのが連休前。祝日も日曜日もなく、データとデザインのやりとりをして、ようやくゲラ(印刷見本)が出来上がって来て、の打合せでした。
この手の切手シート、けっこう高いものだそうですね。
知名度のあるところのものだと、何千円もするのだとか。ふつうの切手とちがって印刷費とか包装代がけっこうかかるのは確かですが、「太郎」のは切手だけというのもなんなので、「太郎」の絵はがきをいっしょに入れることになりました。
いざ、こういう商品を作るとなるとこまごま考えなければならず、当の切手シートはもちろん、同梱の絵はがきならその体裁やデザイン、シートの台紙、シートにそえる説明書き(たとえば「くいだおれ太郎の歴史」など)、シートを入れるビニールの袋、さらにその袋に封をするための封緘シールなどなど、いろいろ決めたり作ったりするものができてきます。
予定では、今月末までに材料をそろえて梱包をはじめ、6月上旬に発売という予定です。「大阪名物くいだおれ」のホームページからもご注文いただけるようにすることになっています。
もちろん、「くいだおれ」としては大変ありがたいお話で、素材の写真を提供してデザインしていただきました。現在店内で展示してある「秘蔵写真」から選んだものが中心です。
50円切手と80円切手、それぞれ10枚ずつ、計20枚分の写真を選ぶ作業も大変でしたが、レイアウトもなかなか大変だったと思います。
最初にお話があったのが連休前。祝日も日曜日もなく、データとデザインのやりとりをして、ようやくゲラ(印刷見本)が出来上がって来て、の打合せでした。
この手の切手シート、けっこう高いものだそうですね。
知名度のあるところのものだと、何千円もするのだとか。ふつうの切手とちがって印刷費とか包装代がけっこうかかるのは確かですが、「太郎」のは切手だけというのもなんなので、「太郎」の絵はがきをいっしょに入れることになりました。
いざ、こういう商品を作るとなるとこまごま考えなければならず、当の切手シートはもちろん、同梱の絵はがきならその体裁やデザイン、シートの台紙、シートにそえる説明書き(たとえば「くいだおれ太郎の歴史」など)、シートを入れるビニールの袋、さらにその袋に封をするための封緘シールなどなど、いろいろ決めたり作ったりするものができてきます。
予定では、今月末までに材料をそろえて梱包をはじめ、6月上旬に発売という予定です。「大阪名物くいだおれ」のホームページからもご注文いただけるようにすることになっています。
posted by くいだおれ太郎 at 23:02| Comment(4)
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2008年05月15日
橋波保育園
先週、5月8日、守口市の橋波保育園の園児さんたちが「くいだおれ」に来られました。
以前からおつきあいのあった保育園で、「団体でうかがいたいのですが」とご予約いただいたときに、「最後の子供の日ですから、記念にご招待します」と女将の一言でご招待が決まりました。
はじめは、1階の洋食レストランで「お子様セット」を召し上がっていただくことにしていたのですが、女将の発案で、お土産に「くいだおれ太郎の帽子」をみんなに作ってもらおうと、5階の大広間に上がっていただいて、お食事と「工作」の時間となりました。
女将みずから指南役に
上手にできました
そして、今日、橋波保育園からお礼状をいただきました。
すごい!
中を開くと
泣けてきます。
先代は「子供に喜んでもらうために」といって「くいだおれ太郎」を作ったわけですが、それから60年経ってもやっぱり「太郎」は子供さんたちを喜ばせてくれているようです。
裏方で、黙々とこの「工作」の用意をしてくれたのは増井さん。
ほんとはこんな仕事をしてもらう方ではないのですが。
以前からおつきあいのあった保育園で、「団体でうかがいたいのですが」とご予約いただいたときに、「最後の子供の日ですから、記念にご招待します」と女将の一言でご招待が決まりました。
はじめは、1階の洋食レストランで「お子様セット」を召し上がっていただくことにしていたのですが、女将の発案で、お土産に「くいだおれ太郎の帽子」をみんなに作ってもらおうと、5階の大広間に上がっていただいて、お食事と「工作」の時間となりました。
女将みずから指南役に
上手にできました
そして、今日、橋波保育園からお礼状をいただきました。
すごい!
中を開くと
泣けてきます。
先代は「子供に喜んでもらうために」といって「くいだおれ太郎」を作ったわけですが、それから60年経ってもやっぱり「太郎」は子供さんたちを喜ばせてくれているようです。
裏方で、黙々とこの「工作」の用意をしてくれたのは増井さん。
ほんとはこんな仕事をしてもらう方ではないのですが。
posted by くいだおれ太郎 at 23:02| Comment(2)
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2008年05月14日
和定食部門の厨房 釜飯
「大阪名物くいだおれ」3階の和定食部門、今回が初めてのレポートです。
割烹なら「玉葱の鱧射込み」、居酒屋なら「道頓堀コロッケ」、洋食なら「くいだおれオムライス」と、よそにない商品をご紹介するのが入り口になるのですが、ここ和定食部門は、そういう個性的なメニューがあまりないので、さて、どこからご紹介したものかと、なかなか難しいのです。
それで、厨房に入って相談した結果、やはりここは「釜飯」であろうと。
そして今日厨房を覗いたら、まさにタイミングよく、釜飯を仕込んでいるところでした。
「くいだおれ」和定食、夜のメニューでの人気商品が、この釜飯を組み込んだ御膳ものです。
ふつう釜飯といえば、大きな炊飯器で炊いた炊き込みご飯を一人用の釜に盛って出すのがあたりまえなのだそうですが、「くいだおれ」和定食では、どれも一から、生米から炊いてお出ししております。
まず、一人用のお釜にお米を入れます。
このお釜は中がテフロン加工になった特別製。
そして出汁を入れる。
そのあと、季節にもよりますが、春なら下茹でしてある山菜を乗せます。
そして、これも季節で変わりますが、海のものなど。今日はカニの棒肉を入れます。最初の写真ではホタテが入ってますね。
あとは蓋をして、火にかけるだけ。
ここでは、20分から25分の固形燃料を使います。
これだけ。
えー、たったそれだけ? と思うぐらい簡単でした。
和定食の釜飯はすべてこうやって、一から炊いているのですが、ほんとにこのわずかな固形燃料できれいに炊けてしまうのです。コンロの熱伝導がよいのか、器が小さいから早く沸くのか。
ともかくも、この釜飯は和定食のおすすめ商品です。
ぜひお試しください。
割烹なら「玉葱の鱧射込み」、居酒屋なら「道頓堀コロッケ」、洋食なら「くいだおれオムライス」と、よそにない商品をご紹介するのが入り口になるのですが、ここ和定食部門は、そういう個性的なメニューがあまりないので、さて、どこからご紹介したものかと、なかなか難しいのです。
それで、厨房に入って相談した結果、やはりここは「釜飯」であろうと。
そして今日厨房を覗いたら、まさにタイミングよく、釜飯を仕込んでいるところでした。
「くいだおれ」和定食、夜のメニューでの人気商品が、この釜飯を組み込んだ御膳ものです。
ふつう釜飯といえば、大きな炊飯器で炊いた炊き込みご飯を一人用の釜に盛って出すのがあたりまえなのだそうですが、「くいだおれ」和定食では、どれも一から、生米から炊いてお出ししております。
まず、一人用のお釜にお米を入れます。
このお釜は中がテフロン加工になった特別製。
そして出汁を入れる。
そのあと、季節にもよりますが、春なら下茹でしてある山菜を乗せます。
そして、これも季節で変わりますが、海のものなど。今日はカニの棒肉を入れます。最初の写真ではホタテが入ってますね。
あとは蓋をして、火にかけるだけ。
ここでは、20分から25分の固形燃料を使います。
これだけ。
えー、たったそれだけ? と思うぐらい簡単でした。
和定食の釜飯はすべてこうやって、一から炊いているのですが、ほんとにこのわずかな固形燃料できれいに炊けてしまうのです。コンロの熱伝導がよいのか、器が小さいから早く沸くのか。
ともかくも、この釜飯は和定食のおすすめ商品です。
ぜひお試しください。
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2008年05月13日
「太郎本」ロケ
そして今日もまた写真の話題ですが、今日のは「料理」写真ではなく、「太郎」の写真です。
マガジンハウスから「くいだおれ太郎」が「自伝」を出すことになりました。
目下、急ピッチで執筆中。
そして、今日は道頓堀にほど近い天王寺のスタジオで撮影です。
「太郎」の移動はなかなか大変。
台座を入れて150kgほどあるので、仕入部の電動リフトつきトラックを使って運びます。
問題は、背が高いこと。台座の下から頭のてっぺんまで3メートル弱あるので、幌で隠せない。「太郎」がむきだしのままトラックに乗って市内を移動してれば、ちょっとした見ものになってしまうでしょう。
だから本体にはブルーシートをかぶせたのですが・・・かえって怪しい!
どうみたって「大阪名物くいだおれ」。
まあ、ともかくもスタジオに到着して、太郎をおろします。
いつも太郎を運んでくれるのは、「くいだおれ」営繕係の竹下(左端)と、出入りの工務店の岡田さん(真ん中)。そしてまたこの二人が、「太郎」のお医者さん(修繕係)でもあり、メーキャップ・アーティストでもあります。
スタジオに入ったら、人間の撮影と同じ。
カメラは小野晃蔵さん。
引いて撮ったり、寄って撮ったり。
電源を入れっぱなしで、どんどん表情が変わるのを追っかけながら撮るので、人間を撮るときと同じように、バシャバシャとシャッターを切ります。
こんなポーズをさせてみたり。
右はこの本のプロデューサー、吉村さん。元Hanako West 編集長。
左がデザイナーの行(ゆき)さん。吉村さんの相棒です。
さらに「哀愁あるポーズ」を模索してみたり。
こんなこともやらせてみました。
プロデューサーの吉村さん、なぜかこの日はスキを見ては太郎の写真ばかり撮ってました。
「待ち受け画面にするねん」
さらにカメラの小野さんとも
「くいだおれ」関係者が「太郎」の写真を撮るなんて、仕事以外ではまずないと思います。でも、こうやって照明の良いスタジオで「太郎」を独占するというレアな経験をしてみると、みんな「太郎」の撮影にハマってしまいました。あらためて、店頭で「太郎」の写真を撮るお客様の気持ちを理解した次第です。
だって、スタジオに「太郎」が到着するやいなや、
こんな感じですから。
さて、この「太郎」本は6月の下旬発売の予定。
今回のロケ撮影以外にも秘蔵写真満載となる予定です。元Hanako West編集長の吉村さんに加え、前Meets Regional 名物編集長の江(こう)さんも参加してくださいます。その他に○○師匠やら○○先生やら○○さんやら、皆さんご存知の著名人も続々参加。TRIP OF LOVE の出口プロデューサーからも熱いメッセージ頂戴しました。ぜひ、ご期待ください。
さらに、「大阪名物くいだおれ」の公式社史「ばかたれ、しっかりせ」(講談社)も増版作業中。こちらは一足早く5月下旬に書店に並ぶ予定です。
マガジンハウスから「くいだおれ太郎」が「自伝」を出すことになりました。
目下、急ピッチで執筆中。
そして、今日は道頓堀にほど近い天王寺のスタジオで撮影です。
「太郎」の移動はなかなか大変。
台座を入れて150kgほどあるので、仕入部の電動リフトつきトラックを使って運びます。
問題は、背が高いこと。台座の下から頭のてっぺんまで3メートル弱あるので、幌で隠せない。「太郎」がむきだしのままトラックに乗って市内を移動してれば、ちょっとした見ものになってしまうでしょう。
だから本体にはブルーシートをかぶせたのですが・・・かえって怪しい!
どうみたって「大阪名物くいだおれ」。
まあ、ともかくもスタジオに到着して、太郎をおろします。
いつも太郎を運んでくれるのは、「くいだおれ」営繕係の竹下(左端)と、出入りの工務店の岡田さん(真ん中)。そしてまたこの二人が、「太郎」のお医者さん(修繕係)でもあり、メーキャップ・アーティストでもあります。
スタジオに入ったら、人間の撮影と同じ。
カメラは小野晃蔵さん。
引いて撮ったり、寄って撮ったり。
電源を入れっぱなしで、どんどん表情が変わるのを追っかけながら撮るので、人間を撮るときと同じように、バシャバシャとシャッターを切ります。
こんなポーズをさせてみたり。
右はこの本のプロデューサー、吉村さん。元Hanako West 編集長。
左がデザイナーの行(ゆき)さん。吉村さんの相棒です。
さらに「哀愁あるポーズ」を模索してみたり。
こんなこともやらせてみました。
プロデューサーの吉村さん、なぜかこの日はスキを見ては太郎の写真ばかり撮ってました。
「待ち受け画面にするねん」
さらにカメラの小野さんとも
「くいだおれ」関係者が「太郎」の写真を撮るなんて、仕事以外ではまずないと思います。でも、こうやって照明の良いスタジオで「太郎」を独占するというレアな経験をしてみると、みんな「太郎」の撮影にハマってしまいました。あらためて、店頭で「太郎」の写真を撮るお客様の気持ちを理解した次第です。
だって、スタジオに「太郎」が到着するやいなや、
こんな感じですから。
さて、この「太郎」本は6月の下旬発売の予定。
今回のロケ撮影以外にも秘蔵写真満載となる予定です。元Hanako West編集長の吉村さんに加え、前Meets Regional 名物編集長の江(こう)さんも参加してくださいます。その他に○○師匠やら○○先生やら○○さんやら、皆さんご存知の著名人も続々参加。TRIP OF LOVE の出口プロデューサーからも熱いメッセージ頂戴しました。ぜひ、ご期待ください。
さらに、「大阪名物くいだおれ」の公式社史「ばかたれ、しっかりせ」(講談社)も増版作業中。こちらは一足早く5月下旬に書店に並ぶ予定です。
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2008年05月12日
料理写真 後編 デジタル時代
今から思えば、澤さんは当時からデジタル時代を先取りしたような撮り方でした。
いや、「デジタル」と構図が直接関係あるわけではありませんが。
10年ほど前、料理写真といえば大きな蛇腹のカメラで撮るのが当たり前の時代、澤さんが撮影に持って来たのが中判のハッセルブラッドです。
大判の蛇腹のにくらべると、フィルム面積はざっと4分の1。ホームページ用であまり解像度が必要ではなかったとはいえ、型破りな感じでした。そのかわり、手持ちで構図を少しずつ変えながらどんどん撮れる。
そして、もうひとつ大胆だなあと思ったのは、最初から、お皿が画面からはみ出すように撮影することでした。それに、蛇腹のないカメラですから、全部にピントが合うということがない。どこかにピントをきっちり合わせたら、あとはあえてぼかす。
今はこういう撮り方、当たり前です。どの雑誌のカメラマンでも、印刷屋さんのカメラマンでもやっています。でも、当時は「料理専門のカメラマンというのはこういう撮り方をするものか」と、けっこう新鮮でした。
さて、時代は流れて今やデジタル全盛時代。
ちょっと前までは、「きれいな写真」はやはりフィルムに軍配が上がっていましたが、もうデジタルでもまったく遜色ないとか。いや、デジタルの方が上という人もあります。あるエンジニアの本によれば、もはやレンズのクオリティもフィルム時代にくらべてはるかによくなっているのだとか。
少なくとも、インターネットではデジタルかフィルムかはまったく関係ないし、印刷物でも同様だそうです。まあ、10年前でも、印刷物に使う場合はフィルムをデジタルで読み取って処理していたのですから、結果は同じことですが。
そしてデジタルで決定的に変わったことは、「その場で結果が見られること」。
これは決定的です。ある意味で、今まで「現像しなければわからな」かった「プロの腕前」が、その場でわかる。一発勝負ではなくなったわけです。
たいていの場合、カメラマンはその場で確認するときには、カメラについた液晶画面で確認、修正してゆきますが、澤スタジオはパソコンを持ち込んでやります。
ふつうパソコンを持ち込んでも、どんどん撮影して、メモリーがいっぱいになったらパソコンに読み込む、ということが多いみたいですが、澤スタジオではリアルタイムで撮影画像をパソコンに送ります。
こうすれば大きな画面で画像が確認できるので、照明の不具合や色合い、ピントの確認など、ほとんど完全です。
そしてこれも、はじめはコードをつないでやっていたのですが、澤さんはすぐにワイヤレスに切り替えました。「くいだおれ」での撮影でも試しつつやってました。はじめはワイアレスの具合が悪かったり、パソコンのアプリケーションの具合が悪かったり、途中で撮影作業が止まることもしばしばでしたが、いつの間にか、ワイヤレスで写真データを飛ばすのがあたりまえになりましたね。
そして、一枚撮るごとにこうやって確認して、露出や証明、レフ板の位置などを修正しながら進めてゆきます。フィルム時代は構図や露出が決まったら、「では、本番行きます」だったのですが、デジタル時代はこうやって確認して決まれば、「OK」。あっけないものです。
それで、どんどん撮影も進んでゆきます。最近は、構図などのスタイルも決まって来たせいもありますが、4時間程度で大小合わせて20点は軽く撮れます。小さいものが多ければ、もっと早い。この倍は軽いですね。
ただし、昔と違って今はカメラマンがパソコンのソフトを使って画像の修正をすることも多いです。色合いを調整したり、汚れを取り除いたり。そういうレタッチ作業もカメラマンの仕事に入ったりするので、パソコンもカメラマンの「道具」になってきました。
で、こうした撮影作業をしながら、ホームページのレイアウトの打合せも同時進行で進めてゆきます。何せ、撮影したカットが目で見えるわけですから話も早いのです。
パソコンのモニターで見た画像を見ながらレイアウトを決めて、ここにはデータ番号何番の写真、ここは何番、と、つぎつぎに決めてゆきます。
データも、急ぐものはレタッチ抜きでその場でCDに焼いてデザイナーさんに渡せる。
だから、今は「1点いくら」ではなく、「1時間いくら」とか「1日いくら」の契約です。そして1点あたりの撮影料もかなり安くなりました。もっとも、澤さんにはかなりサービスしてもらってますが。
思えば、すごいスピード感の変化です。
フィルム時代は、撮影して現像に出して、翌日戻って来たものをルーペで覗いて選んでデザイナーに渡して、紙焼き(プリント)にしてレイアウトに貼付けて(そういえば昔は紙焼きの上にトレーシングペーパーをかぶせてトリミングの指定なんてやってましたね)、なんて、撮影からレイアウトまで1週間近くかかったものですが、今や一瞬。せいぜい2日です。
「くいだおれ」の場合、ホームページのうち毎月更新する箇所をだいたい決めています。だから、2日あれば撮影からアップデートまでできてしまう。この4月は撮影の段取りがうまくつかなくてぎりぎりになったので、月末に撮影して、翌朝までにアップデートという無理をしてもらうことになりましたが、そういうことすらできる時代になったということは、ちょっと前には考えられないことでした。
また、モニター画面を見ながらどんどん修正してゆけるわけですから、写真のクオリティもどんどん上がっているということかもしれません。これはカメラマンにとってみれば安全でもあり厳しくもあります。
一発勝負でないのだから「どうしようもない失敗」はなくなりました。でも、どんどん修正できるということは、できるだけ修正しなくてはいけない。クライアントはどんどん注文つけます。昔みたいに現像したらおしまい、「撮り直しは大変だ」とか「撮り直してもこれより良くなるかどうかはわからない」なんてことはありません。
だから、デジタル時代のカメラマンさんは、いかにクライアントの要求を正しく理解して、それをいかに手早く実現できるか、が要求されるということでしょうか。
ところで、ちょっと前の書き込みに、「玉葱料理の写真は澤さんでしょうか」というご質問がありました。池本くん喜びます。実は、あれは池本くんです。澤さんはものによっては一から十まで池本くんに撮影させることがあります。そして、最後におかしいところを修正してゆく。そうやって、力をつける。
これもデジタル時代だからできることかもしれません。ともあれ、あの玉葱は澤さん抜きでOKが出たものです。
さて、昨日の「前編」に、「くいだおれ」ホームページ開設の目的に「kuidaore」の使用権の問題があるということを書きましたが、結果、「くいだおれ」のホームページアドレスは「Cui-daore」となっています。
これは、アメリカに長かった澤さんのアドバイスです。
英語には「ku」という綴りはほとんどないし、「kuidaore」とずらずらやってしまうと英米人にはとても読みにくい。
この際、もっと美味しそうに、「料理」すなわち「キュイジーヌ cuisine」を連想させる綴りにしてはどうだろうか。ということで今の Cui-daoreという綴りが採用されたのでした。そしてアドレスには使えませんが、ロゴには最後も「オア」でなくちゃんと「オレ」と呼んでもらえるように、最後の「e」の上にフランス語のアクセント記号をつけています。
いや、「デジタル」と構図が直接関係あるわけではありませんが。
10年ほど前、料理写真といえば大きな蛇腹のカメラで撮るのが当たり前の時代、澤さんが撮影に持って来たのが中判のハッセルブラッドです。
大判の蛇腹のにくらべると、フィルム面積はざっと4分の1。ホームページ用であまり解像度が必要ではなかったとはいえ、型破りな感じでした。そのかわり、手持ちで構図を少しずつ変えながらどんどん撮れる。
そして、もうひとつ大胆だなあと思ったのは、最初から、お皿が画面からはみ出すように撮影することでした。それに、蛇腹のないカメラですから、全部にピントが合うということがない。どこかにピントをきっちり合わせたら、あとはあえてぼかす。
今はこういう撮り方、当たり前です。どの雑誌のカメラマンでも、印刷屋さんのカメラマンでもやっています。でも、当時は「料理専門のカメラマンというのはこういう撮り方をするものか」と、けっこう新鮮でした。
さて、時代は流れて今やデジタル全盛時代。
ちょっと前までは、「きれいな写真」はやはりフィルムに軍配が上がっていましたが、もうデジタルでもまったく遜色ないとか。いや、デジタルの方が上という人もあります。あるエンジニアの本によれば、もはやレンズのクオリティもフィルム時代にくらべてはるかによくなっているのだとか。
少なくとも、インターネットではデジタルかフィルムかはまったく関係ないし、印刷物でも同様だそうです。まあ、10年前でも、印刷物に使う場合はフィルムをデジタルで読み取って処理していたのですから、結果は同じことですが。
そしてデジタルで決定的に変わったことは、「その場で結果が見られること」。
これは決定的です。ある意味で、今まで「現像しなければわからな」かった「プロの腕前」が、その場でわかる。一発勝負ではなくなったわけです。
たいていの場合、カメラマンはその場で確認するときには、カメラについた液晶画面で確認、修正してゆきますが、澤スタジオはパソコンを持ち込んでやります。
ふつうパソコンを持ち込んでも、どんどん撮影して、メモリーがいっぱいになったらパソコンに読み込む、ということが多いみたいですが、澤スタジオではリアルタイムで撮影画像をパソコンに送ります。
こうすれば大きな画面で画像が確認できるので、照明の不具合や色合い、ピントの確認など、ほとんど完全です。
そしてこれも、はじめはコードをつないでやっていたのですが、澤さんはすぐにワイヤレスに切り替えました。「くいだおれ」での撮影でも試しつつやってました。はじめはワイアレスの具合が悪かったり、パソコンのアプリケーションの具合が悪かったり、途中で撮影作業が止まることもしばしばでしたが、いつの間にか、ワイヤレスで写真データを飛ばすのがあたりまえになりましたね。
そして、一枚撮るごとにこうやって確認して、露出や証明、レフ板の位置などを修正しながら進めてゆきます。フィルム時代は構図や露出が決まったら、「では、本番行きます」だったのですが、デジタル時代はこうやって確認して決まれば、「OK」。あっけないものです。
それで、どんどん撮影も進んでゆきます。最近は、構図などのスタイルも決まって来たせいもありますが、4時間程度で大小合わせて20点は軽く撮れます。小さいものが多ければ、もっと早い。この倍は軽いですね。
ただし、昔と違って今はカメラマンがパソコンのソフトを使って画像の修正をすることも多いです。色合いを調整したり、汚れを取り除いたり。そういうレタッチ作業もカメラマンの仕事に入ったりするので、パソコンもカメラマンの「道具」になってきました。
で、こうした撮影作業をしながら、ホームページのレイアウトの打合せも同時進行で進めてゆきます。何せ、撮影したカットが目で見えるわけですから話も早いのです。
パソコンのモニターで見た画像を見ながらレイアウトを決めて、ここにはデータ番号何番の写真、ここは何番、と、つぎつぎに決めてゆきます。
データも、急ぐものはレタッチ抜きでその場でCDに焼いてデザイナーさんに渡せる。
だから、今は「1点いくら」ではなく、「1時間いくら」とか「1日いくら」の契約です。そして1点あたりの撮影料もかなり安くなりました。もっとも、澤さんにはかなりサービスしてもらってますが。
思えば、すごいスピード感の変化です。
フィルム時代は、撮影して現像に出して、翌日戻って来たものをルーペで覗いて選んでデザイナーに渡して、紙焼き(プリント)にしてレイアウトに貼付けて(そういえば昔は紙焼きの上にトレーシングペーパーをかぶせてトリミングの指定なんてやってましたね)、なんて、撮影からレイアウトまで1週間近くかかったものですが、今や一瞬。せいぜい2日です。
「くいだおれ」の場合、ホームページのうち毎月更新する箇所をだいたい決めています。だから、2日あれば撮影からアップデートまでできてしまう。この4月は撮影の段取りがうまくつかなくてぎりぎりになったので、月末に撮影して、翌朝までにアップデートという無理をしてもらうことになりましたが、そういうことすらできる時代になったということは、ちょっと前には考えられないことでした。
また、モニター画面を見ながらどんどん修正してゆけるわけですから、写真のクオリティもどんどん上がっているということかもしれません。これはカメラマンにとってみれば安全でもあり厳しくもあります。
一発勝負でないのだから「どうしようもない失敗」はなくなりました。でも、どんどん修正できるということは、できるだけ修正しなくてはいけない。クライアントはどんどん注文つけます。昔みたいに現像したらおしまい、「撮り直しは大変だ」とか「撮り直してもこれより良くなるかどうかはわからない」なんてことはありません。
だから、デジタル時代のカメラマンさんは、いかにクライアントの要求を正しく理解して、それをいかに手早く実現できるか、が要求されるということでしょうか。
ところで、ちょっと前の書き込みに、「玉葱料理の写真は澤さんでしょうか」というご質問がありました。池本くん喜びます。実は、あれは池本くんです。澤さんはものによっては一から十まで池本くんに撮影させることがあります。そして、最後におかしいところを修正してゆく。そうやって、力をつける。
これもデジタル時代だからできることかもしれません。ともあれ、あの玉葱は澤さん抜きでOKが出たものです。
さて、昨日の「前編」に、「くいだおれ」ホームページ開設の目的に「kuidaore」の使用権の問題があるということを書きましたが、結果、「くいだおれ」のホームページアドレスは「Cui-daore」となっています。
これは、アメリカに長かった澤さんのアドバイスです。
英語には「ku」という綴りはほとんどないし、「kuidaore」とずらずらやってしまうと英米人にはとても読みにくい。
この際、もっと美味しそうに、「料理」すなわち「キュイジーヌ cuisine」を連想させる綴りにしてはどうだろうか。ということで今の Cui-daoreという綴りが採用されたのでした。そしてアドレスには使えませんが、ロゴには最後も「オア」でなくちゃんと「オレ」と呼んでもらえるように、最後の「e」の上にフランス語のアクセント記号をつけています。
posted by くいだおれ太郎 at 23:06| Comment(0)
| 日記
2008年05月11日
料理写真 前編 フィルム時代
「大阪名物くいだおれ」のホームページは割と早く、10年ほど前から開設しています。
というのも、「くいだおれ」という言葉は一般名詞でもあり、誰かにこのアドレスを先に取られてしまうと、なかなか使いにくいという防御的な意味もあったのです。
そして、そのときにデザインと写真をお願いしたのがビットデザインスタジオの藤田さんと、澤さんでした。
当時、お二人は靱本町(うつぼほんまち)に共同でスタジオを構えておられました。ビットデザインスタジオはまだ藤田さんだけ、澤スタジオは澤さんと、アシスタントの女の子が一人いたくらいでしたか。
その後、「くいだおれ」のホームページの担当者が変わったり、また当時はそう頻繁にアップデートすることもなかったこともあり、しばらくお二方とはお仕事をすることがなかったのが、一昨年にホームページを全面的にリニューアルするにあたって、再びお願いすることになったわけです。
そして、この数年間には、いろいろずいぶん変わりました。
まず、コンピューターの環境が変わりました。当時はダイヤルアップが当たり前の時代なので、データの重さが最大の課題でした。画面をできるだけ分割して、最小限のデータ量で表現するのがデザイナーの腕の見せ所というわけで、フラッシュムービーなんてなかなか使えませんでした。
だから、写真もあまり使えなかったはずですね。
ブロードバンドが当然の今ではわずか1、2秒でダウンロードできる写真一枚が、当時は1分とかかかったのではなかったでしょうか。だから今みたいにサムネイルをクリックすると拡大写真がすぐに出てくる、というワザも使いにくかったのです。
さらに、もっと変わったのは写真そのものです。
10年前、いや5年前までは、写真はフィルムでした。新聞や雑誌は5年前にはかなりデジタル化してたのかもしれませんが、料理写真のように画質を重視するものでは、デジタルはとても考えられなかった時代です。
そしてまた、料理写真に対する考え方も違いました。
当時は、雑誌などのエディトリアルな効果を狙ったものは別として、パンフレットに使う料理写真はあくまで「カタログ」であって、どんな料理、どんなお皿が出てくるかを展示することが最大の目的だったわけです。
今でも、「くいだおれ」ホームページの和定食部門では現場の希望でそのような旧来のやり方をしています。
http://www.cui-daore.co.jp/wateisyoku_menu.html
ご覧いただければわかるように、テーブルの手前から奥まできちんとピントがあって、どの料理もきれいに見えます。そして大事なことは、どのお皿、どの器も、きっちり画面に入っているということです。
こういう撮影、けっこう大変なものでした。
だって、フィルム時代は、現像してみなければ結果がわからないのですから。
テーブルに料理を並べると、手前から奥までかなり奥行きがあります。
この全部にピントを合わせるとなると、学校の集合写真に使うような蛇腹のついたカメラが必要です。フィルム面に対して、レンズを斜めにしなくてはならないからです。
さらに、手前から奥までまんべんなく写すためには、ストロボの明るさをきちんと整えてやらなければいけません。絞り値にして3分の1以内。これは肉眼ではなかなかわかりません。もちろん、お皿の手前側とか料理のてっぺんとか、ハイライトになったり陰になったりする部分は良いのですが、それも効果的に計算しなくてはならない。
だから、大きな照明器具をいくつも使って、反射板(レフ板)を置いて、何十回と露出計で露出を計って準備をしたものでした。
それから、会席料理のようにお皿の数が多いと並べ方も大変です。一番見やすく、絵になる並べ方を模索して、露出を決めて、そしてポラロイドで撮影します。
ポラロイドは実際のフィルムほどきれいには出ませんし、実際のフィルムよりも明るさの許容範囲が狭いので、最終結果よりはキタナくしか写りません。暗い部分は実際以上に陰がついて、明るい部分は実際以上に白っぽくなってしまいます。
それを見ながら、また並べ替えたり、露出を合わせたり。
ポラロイドの現像を待つのに2、3分かかることもあって、料理写真を一点撮るのに、だいたい小一時間かかるのはザラでした。
また、印刷に使うのはポジフィルム、いわゆるスライド用のフィルムですが、これはふつうのネガフィルムと比べて露出の許容範囲がとても狭い。ふつうのネガだと少々露出が違っていてもプリントできるものですが、ポジはそうはいかない。
それで、ポジでの撮影では保険をかける意味で、少しずつ露出を変えて何カットも撮るものでした。
蛇腹のカメラだと、一枚とってフィルムを巻き上げて、というわけにはゆきません。フォルダにセットしたシートフィルムをいちいち差し替えて、どのフィルムがどの露出番号か印をつけて。ほんとに神経使う作業でした。
カメラマンというのは印刷屋さんが連れてくるのがふつうです。パンフレットを作るとすれば、どこかの印刷屋さんに発注して、そこがおかかえのカメラマンとデザイナーを使って作る。
でも、最初に「くいだおれ」のホームページを立ち上げるにあたっては、もっと写真のクオリティにこだわろう、ということになったのです。
まだインターネットが今ほど当たり前になっていなかったこともあったし、カタログ的な写真よりは、「食欲がわくような、美味しそうな写真」を使いたい、ということで、料理を専門にしていた澤さんにお願いすることにしたのです。
当時、写真の撮影料は1点いくら、でしたが、料理のような手のかかる「ブツ撮り」の場合、印刷屋さんのカメラマンが1点だいたい1万円くらいなのに対して、澤さんのような料理写真の専門カメラマンとなると、1点ン万円が相場でした。一日に撮影できる点数は限られているので、一度の撮影で何十万円もかかるわけではないのですが、やはりこの規模の会社としてはかなり奮発した感じでしたね。社長の、「よっしゃ、いっぺんやってみようや」の一言でした。
というのも、「くいだおれ」という言葉は一般名詞でもあり、誰かにこのアドレスを先に取られてしまうと、なかなか使いにくいという防御的な意味もあったのです。
そして、そのときにデザインと写真をお願いしたのがビットデザインスタジオの藤田さんと、澤さんでした。
当時、お二人は靱本町(うつぼほんまち)に共同でスタジオを構えておられました。ビットデザインスタジオはまだ藤田さんだけ、澤スタジオは澤さんと、アシスタントの女の子が一人いたくらいでしたか。
その後、「くいだおれ」のホームページの担当者が変わったり、また当時はそう頻繁にアップデートすることもなかったこともあり、しばらくお二方とはお仕事をすることがなかったのが、一昨年にホームページを全面的にリニューアルするにあたって、再びお願いすることになったわけです。
そして、この数年間には、いろいろずいぶん変わりました。
まず、コンピューターの環境が変わりました。当時はダイヤルアップが当たり前の時代なので、データの重さが最大の課題でした。画面をできるだけ分割して、最小限のデータ量で表現するのがデザイナーの腕の見せ所というわけで、フラッシュムービーなんてなかなか使えませんでした。
だから、写真もあまり使えなかったはずですね。
ブロードバンドが当然の今ではわずか1、2秒でダウンロードできる写真一枚が、当時は1分とかかかったのではなかったでしょうか。だから今みたいにサムネイルをクリックすると拡大写真がすぐに出てくる、というワザも使いにくかったのです。
さらに、もっと変わったのは写真そのものです。
10年前、いや5年前までは、写真はフィルムでした。新聞や雑誌は5年前にはかなりデジタル化してたのかもしれませんが、料理写真のように画質を重視するものでは、デジタルはとても考えられなかった時代です。
そしてまた、料理写真に対する考え方も違いました。
当時は、雑誌などのエディトリアルな効果を狙ったものは別として、パンフレットに使う料理写真はあくまで「カタログ」であって、どんな料理、どんなお皿が出てくるかを展示することが最大の目的だったわけです。
今でも、「くいだおれ」ホームページの和定食部門では現場の希望でそのような旧来のやり方をしています。
http://www.cui-daore.co.jp/wateisyoku_menu.html
ご覧いただければわかるように、テーブルの手前から奥まできちんとピントがあって、どの料理もきれいに見えます。そして大事なことは、どのお皿、どの器も、きっちり画面に入っているということです。
こういう撮影、けっこう大変なものでした。
だって、フィルム時代は、現像してみなければ結果がわからないのですから。
テーブルに料理を並べると、手前から奥までかなり奥行きがあります。
この全部にピントを合わせるとなると、学校の集合写真に使うような蛇腹のついたカメラが必要です。フィルム面に対して、レンズを斜めにしなくてはならないからです。
さらに、手前から奥までまんべんなく写すためには、ストロボの明るさをきちんと整えてやらなければいけません。絞り値にして3分の1以内。これは肉眼ではなかなかわかりません。もちろん、お皿の手前側とか料理のてっぺんとか、ハイライトになったり陰になったりする部分は良いのですが、それも効果的に計算しなくてはならない。
だから、大きな照明器具をいくつも使って、反射板(レフ板)を置いて、何十回と露出計で露出を計って準備をしたものでした。
それから、会席料理のようにお皿の数が多いと並べ方も大変です。一番見やすく、絵になる並べ方を模索して、露出を決めて、そしてポラロイドで撮影します。
ポラロイドは実際のフィルムほどきれいには出ませんし、実際のフィルムよりも明るさの許容範囲が狭いので、最終結果よりはキタナくしか写りません。暗い部分は実際以上に陰がついて、明るい部分は実際以上に白っぽくなってしまいます。
それを見ながら、また並べ替えたり、露出を合わせたり。
ポラロイドの現像を待つのに2、3分かかることもあって、料理写真を一点撮るのに、だいたい小一時間かかるのはザラでした。
また、印刷に使うのはポジフィルム、いわゆるスライド用のフィルムですが、これはふつうのネガフィルムと比べて露出の許容範囲がとても狭い。ふつうのネガだと少々露出が違っていてもプリントできるものですが、ポジはそうはいかない。
それで、ポジでの撮影では保険をかける意味で、少しずつ露出を変えて何カットも撮るものでした。
蛇腹のカメラだと、一枚とってフィルムを巻き上げて、というわけにはゆきません。フォルダにセットしたシートフィルムをいちいち差し替えて、どのフィルムがどの露出番号か印をつけて。ほんとに神経使う作業でした。
カメラマンというのは印刷屋さんが連れてくるのがふつうです。パンフレットを作るとすれば、どこかの印刷屋さんに発注して、そこがおかかえのカメラマンとデザイナーを使って作る。
でも、最初に「くいだおれ」のホームページを立ち上げるにあたっては、もっと写真のクオリティにこだわろう、ということになったのです。
まだインターネットが今ほど当たり前になっていなかったこともあったし、カタログ的な写真よりは、「食欲がわくような、美味しそうな写真」を使いたい、ということで、料理を専門にしていた澤さんにお願いすることにしたのです。
当時、写真の撮影料は1点いくら、でしたが、料理のような手のかかる「ブツ撮り」の場合、印刷屋さんのカメラマンが1点だいたい1万円くらいなのに対して、澤さんのような料理写真の専門カメラマンとなると、1点ン万円が相場でした。一日に撮影できる点数は限られているので、一度の撮影で何十万円もかかるわけではないのですが、やはりこの規模の会社としてはかなり奮発した感じでしたね。社長の、「よっしゃ、いっぺんやってみようや」の一言でした。
posted by くいだおれ太郎 at 19:34| Comment(0)
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