「秘蔵の写真展」からもう少し。
「胃の寒稽古」が、地元・大阪のスポーツ紙に「かき氷は夏のもの、という世間の常識に挑戦するイベント」として取り上げられてから、「くいだおれ」店頭のイベントはしばらく道頓堀の「名物」になりました。
その第二弾は「新米祭り」。
これは、「くいだおれ」開店間もない昭和24年に先代・山田六郎がやった店頭イベントをふまえたものです。
このときのイベントは「土用の丑の日」の催しでした。
店頭に米俵を積み上げて、「これをかついで道頓堀を往復できた人にうな重をサービスします」というものでした。「ふだんから身体をつかって働いてはる人なら米俵が運べるはずや。そういう人にサービスをするのや。」ということだったそうです。
昭和47年秋のこの「新米祭り」はまったくのお遊びでしたが、この「米俵をかついで」というところを借りてきました。「米俵をかついで歩けた人に食事券をプレゼント」というものでした。
全国から新米を集めてきたのですが、もう米俵というものがなくなっていて、わざわざ作ってもらったものを山形県から取り寄せたということです。残念ながら米俵を運ぶところは写真に残っておりません。
このとき店頭に大きくかかげたのがもうひとつ。
「米を食おう」という大きな垂れ幕を流し、高さ30センチのオニギリを作って、時の首相・田中角栄と、時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンの似顔絵を作った。
ちょうど、田中首相がニクソン大統領とハワイで首脳会談をもった直後で、「米を食おう」の「米」を「米国」をひっかけたシャレでした。
これも新聞がおもしろがって記事にしてくれたので、さらに同じ田中内閣時代に世相を風刺したイベント「豆腐すくい」を。
昭和47年の夏から秋にかけて、エル・ニーニョ現象でペルー沖のカタクチイワシが極端な不漁になりました。そのあおりで、カタクチイワシを主な肥料としていたアメリカの大豆が不作になって高騰し、当時の田中首相が中国などから大豆を緊急輸入することを指示して暴騰を抑えようとしたものの効果がなく、豆腐や醤油の値段が数ヶ月で4倍に値上がりしたのを風刺したイベントでした。
店頭に、当時「主婦」の象徴とされたしゃもじの巨大なものを2本たてて、一方にはまたまた田中角栄首相の似顔絵を描き、もう一方には都々逸を。
「くずれた豆腐も切りようで四角 ものは言いようで角がたつ」。
「角」に「角栄」をひっかけた洒落でした。
2008年05月19日
「新米祭り」と「豆腐すくい」
posted by くいだおれ太郎 at 23:59| Comment(2)
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